ぼくたちの、
7年前、このような日記を書いた。
2011年。日記にも書いたまどかマギカが放映されていた頃、周囲にいた友人たちが次々と商業作品でブレイクし、その中で僕はただ腐っているだけだった。格好つけてクリエイターぶっていたものの、実際の僕は常に迷いっぱなしだった。前を向いて動こうにも何をしたらいいのかわからず、とにかく日々の仕事を進めることしかできなかった。腐ったままでは死んでしまうので、ごはんを食べるために手を動かし、デザインをして文章を書いていた。何に繋がるかなんてわからず、動いていれば何かが起きるじゃないかという、昔から持ち続けている根拠のない理屈によるものだった。
そうしている間にも、周りはどんどん大きな作品をものにしていった。あの人もあの子もあのグループも、アニメ化劇場版メディア展開とにぎやかな話題ばかりだった。僕は置いて行かれるばかりだった。それでも手を動かした。ごはんが食べられるように、会社に参加してくれたスタッフが困らないようにと。そうしたら、次第に感覚が麻痺してきた。自分はこうして死んでいくんだろうなとしか思えなくなった。形に残るようなものを残すチャンスはもう終わったのだと。
元々、運だけが良かった人間だった。なぜか受かった大阪芸大に滑り込み、わかりもしない映像を学ぶうちにMacを知りデザインを知って、バイト先にもなんかうまいことを言って滑り込んだ。イラレの使い方を学んで卒業して、行く宛ても無いのに東京へ行き、たまたま社長とウマが合ったデザイン事務所へ入った。デザイン事務所に入ってデザイナーの見習いになったから、ずっとデザイナーをやってきた。その幸運がなければこの仕事はしていなかっただろうし、たまたまライターが足りなくてその穴埋めをしなければ、物語を作る仕事もしていなかっただろう。そこには思想も意義も崇高な精神もクリエイター魂的なものも何もなかった。すべては巡り合わせと、なんでも受け入れる雑食性がなせたことだった。巡り合わせが悪くなれば、当然のようにすべては悪いサイクルになる。それが来たんだろうなと、その頃は思っていた。
少し、風向きが変わったのは2013年のことだった。ゲームシナリオの仕事をお願いしますと、『恋チョコ』を作ったメーカーさんからの依頼だった。最初は悩んだ。その少し前に関わった大作ゲームでは、作品自体は大成功したものの、自分の担当パートの評価は今ひとつ、いや、正直良くなかった。すっかり自信を喪失し、もうゲームは無理だろう、自分の書く話に魅力なんかないんだ、そう思っていた。だから、うけるかどうかについてはまだ半々といったところだった。
メーカーのプロデューサーであるサカモトさん、そしてビジュアル面の担当の鈴森さんと会い、話をした。すごく情熱のある方々だった。熱が入った。これは自分への喝、そして物語を作る最後のチャンスだと思った。コンセプトを決めるため、1枚のA4用紙に思いを書き殴った。テーマは空。上を向け、空を見よう。そういうことを書いた。大地震のあとで沈んでいた界隈と、そして自分へ向けたメッセージでもあった。美少女ゲームでほとんど例のなかったスポ根を、覚悟を決めてやることにした。そんな意気込みを含めて提出した企画を、メーカーさんはおもしろいと言ってくださった。設定などが決まっていき、開発のなかばに差しかかるところでタイトルが決まった。『蒼の彼方のフォーリズム』。自分の考えたものではなかったけれど、大好きな響きだった。
『蒼の彼方のフォーリズム』は人気作品となった。シナリオも高い評価をいただいた。TVアニメにもなり、初めてアニメの脚本という仕事も経験できた。僕はやっとのことで自信を取り戻した。自分の書く世界や物語が、まだまだ人を感動させられる、そのことがたまらなく嬉しかった。同じ頃、『ご注文はうさぎですか?』のアニメも始まった。自分の名前が載ったエンドクレジットを何回も見た。シナリオ、デザインの両方で、少しずつ達成が増えてきた。仕事に対しての意欲が再び湧くようになった。
「ライトノベルの新作を書きませんか」
その頃、新しい仕事の相談をいただいた。まだ会社が渋谷にあった頃のメディアファクトリー。担当さんとは元々、デザインを通じて知り合った間柄だった。かつてのラノベ2作品の直後だったら、断っていたかもしれない。いや、それ以前に依頼すらこなかっただろう。だけど今回は違った。ゲームシナリオで自信を取り戻し、もう一度なら挑戦しても許されるかも、と思った。ライトノベル執筆の、最後のチャンスのつもりで受けようと、「やります」と返信をした。それが2016年のことだった。
何を書こうか悩んだ。その頃流行っていたジャンルはどれも自分の手に負えないものばかりだった。このおもしろさ、気持ちよさを自分は書き切れない。無理をして書いたところで、中途半端なものになってしまうと思った。迷った結果、その自分がまさに悩んでいるクリエイティブそのものをテーマにしようと決めた。かつて通っていた大阪芸大での思い出を編集さんに伝えると、興味を持ってくださった。タイムスリップのアイデアをそれに組み合わせ、ちょうどオタクメディアが大きく動いた2006年からの話をやろうということになった。タイトルは編集さんが付けてくださった。『ぼくたちのリメイク』。それは、僕自身のリメイク、再出発の物語でもあった。ずっと大好きで、お世話になっていたえれっとさんに挿絵を担当していただいた。覚悟を決めた。これを最高の本にすると。
ぼくリメは開始当初から絶好調とまではいかなかった。だけど読者の方からはとても良い反応をいただけていた。そして根気よく続けていたら、『このライトノベルはすごい!』の年鑑にランクインした。気に入った読者の方が口コミで広げてくださったからだ。気がついたら、僕の書くライトノベルで最大の刊行点数になっていた。講談社さんの提案で、腕利きの閃先生の手でコミカライズしていただき、すばらしいものにしてくださった。何度も泣いた。うれしくて泣いた。まだそこまで売れていない時代に推してくれた担当編集さん、そしてその熱意を受け入れてくださったMF文庫Jさん、KADOKAWAさん、ずっとクオリティの高い熱の入ったイラストを上げてくださったえれっとさん、みなさんに頭が上がらない。様々な人たちによる少しずつの厚意が、実を結んだ結果となった。
すべての作品はつながっている。すべての行動はつながっている。
腐っていた頃も、やる気を取り戻した頃も、血気盛んだった頃も、いずれの時期に書いた物も、したことも、すべて血肉になって次の作品へとつながっていくし、そこで思ったこと、感じたこと、次にやることにもつながっていく。
巡り合わせのままに動くことを、自分で卑下していた時期もあった。だけど、そうじゃなかった。動かなくては何も巡らないし、巡るということは、自分もちゃんと動いていることの証拠だった。長々とこの業界で生きてきて、何もまだ見つけることはできていないけれど、やっとひとつだけ、このことだけは見つけることができた。平成の世が終わり、人生の約半分を過ぎた所でこう考えられるようになったのは、おこがましい話かもしれないけれど、多少の成長があったのかなと思っている。
ずっと、自分はつまらない人間だなあと思っていて、それは未だに油断していると顔を出す悪癖なのだけど、上に書いたささやかな成長と、そして否応なく訪れる年齢の積み重ねによって、段々とその卑屈な考えをいい形で削り取ることができるようになった。配信で、会話で、通話で、作品への感想で、木緒なちへの賛辞や、ときには憧れの言葉をくださる方への愚弄になってはいけない、そして、まがりなりにもずっと動き続けてきた自分に対しても、その達成をあざ笑うことになるんじゃないかという気持ちが、そうさせてくれたのだろう。
美少女ゲーム会社でクリエイターになり、独立して迷い、助けてくれるスタッフを得て、チームは法人化して会社になって社長になり、ライターからラノベ作家になり、そこでまた挫折し、作り続け、新しい物を見続けることでなんとか復活し、そして今はVTuberにまでなった。
立場も状況も変わっていったけれど、根底にあるものはずっと変わらないままここまで来たんだなあと、この日記で昔を振り返って、わかった。
そしてやっと言える。
10年かけてやっと出会えた。自分にとっての『まどかマギカ』に。
*
2021年。『ぼくたちのリメイク』のTVアニメが放送されます。僕が単独で書いた作品としては、初めてのメディア展開作品となります。
ここまで、様々な作品で関わってくださった方々に、友人たちに、そして何よりも読者の皆様に心から感謝いたします。そこそこ長い道のりでしたが、これでひとつの達成を手に入れられたように思います。
来週、7月3日から始まります。観てください。
木緒なち
たくさんの思い入れと共に『UNDERTALE』をお勧めします(非ネタバレ)
僕はゲームが好きです。生まれた時、実家にはPC-8001というパソコンがあり、物心ついた頃にはAppleIIというパソコンがありました。小学校に入り、ファミコンに触れMSXに触れ、中学の頃には弟と小遣いを出し合ってスーパーファミコンを買いました。楽しかった。本当に楽しかった。
醒めないゲームの夢は大人になっても続きました。20代は同人ゲームと共にありました。友人達とグラフィックを作り、シナリオを作り、慣れないままにパッケージを作り上げて楽しみました。そこから商業のPCゲームの制作に移り、更に手とお金と時間をかけたゲーム作りにハマるようになりました。
気がつけば、僕の仕事の大半はゲームと共にあることに気付きました。いや、人生の大半がゲームと共にあると言っても過言ではないでしょう。目をつむれば、今でも鮮明に思い出される記憶の数々は、そのほとんどがゲームの記憶です。クソみたいに苦労したDQ2のラスダンだったり、FF5のアビリティポイントの振り分けだったり。そう、僕のゲームの記憶はそのままRPGの歴史でもあったのです。
今回紹介する『UNDERTALE』は、海外の制作者による、「日本のゲームに対しての深い愛情とリスペクト、そして疑問とひとつの回答」を示した素晴らしいゲームです。プレイするとわかりますが、一見するとごく普通のRPGに見えるユーザーインターフェースと世界観の裏には、ともすれば意地悪く映るかもしれない、深い、考えさせられる内容が横たわっています。
かと言って、やたら説教臭いとか、延々と誰かの自語りの入るゲームというわけでもありません。キャラのセリフや細かい動作、そして展開は思わずプレイする手を止めて笑ってしまうぐらいです。そう、このゲームは「楽しい」のです。
しかし。ゲームが中盤に差し掛かり、最初のルートの終盤に来る頃になると、そこからはもう怒濤の展開となります。ここからが強烈なネタバレになるので詳細を書くことができないのですが、ゲームとは何か、RPGとは何か、僕たちが常識だと思っていることは一体どういう『常識』なのか。感情をグワングワンに揺さぶられ、フラフラになったところで突きつけられる選択と回答。こんな恐ろしい体験をゲームで示されたのは、これもよく話題にされ、作者がリスペクトを公言する『MOTHER』以来だと思います。
世代にもよるのかもしれませんが、僕にとってゲームは思春期の大半を共に過ごした仲間であり、そして今も仕事の大半を委ねている相棒でもあります。何かと言えばRPGの共有知識をネタにした会話が生まれ、「経験値積んだ」「レベルアップした」「しんでしまうとはなにごとだ!」と、実生活にも照らし合わせてゲームは共に生きています。だからこそ、実体験とユーザーの心情をリアルタイムで揺さぶってくる『UNDERTALE』は、僕にとって特別なゲームになり得たのだと思います。
*
ゲームというものに、RPGというものに特別な感情を抱いている、そんな人たちにはぜひ一度、プレイしてみて欲しいです。そしてあの、一通りゲームが終わったあとの何とも言えない気持ちをぜひ体験して欲しい。きっと、すごく特別なものになると思いますよ。
【注意】『UNDERTALE』は、ゲーム内のすべての言葉は英語で記述されています。現状、公式では日本語化されたものはありませんのでご注意ください。なお、非公式ですが、日本語化パッチの制作を続けていらっしゃる方がいらっしゃいます。リンク先の注意事項をよくお読みの上、個人の責任の上でご使用ください。
家にいながら楽しく運動して話題にもついていきたい贅沢な僕たちは
他のご同業の皆さんと同様に、僕もまたオタクであり、そして例に漏れず運動不足である。体脂肪率が10%台になったことはこれまでに一度もないし、脂飯が大好きで、家にいる時はたいてい録画したタモリ倶楽部を観るか寝るか3DSでバーチャルコンソールを遊んでいるかなので、不健康なことこの上ない。
そして三十路も後半となれば、健康診断で赤いチェックマークがボロボロとついてくる。お医者さまから、お前このままやとドラクエが20作目までプレイでけへんようになるで、と暗に寿命についてプレッシャーをかけられるようになる。殊更長生きしたいと思わなくても、やはりコンテンツの未来は見てみたい。ていうかゲームもアニメも山ほど溜まっている。なんとかプレイしたいし観たいしミクさんと抱き合える未来までは生きていたい。切実である。
枕が長くなったが、ここからが今日の日記の本題である。要は、「家にいながら楽しく運動してアニメもバッチリ消化していきたいよね」ってことだ。それをするために何が必要で、どうすれば楽しくアニメライフを送ることができるか。多少予算がかかってもそのためにはお金は惜しまないよ!って人たちのために、僕なりにこの半年ぐらい考えた結果を、以下で紹介しようと思う。
◆アニメを観るためには録り貯めることが必要だ
僕も一応端っこながらアニメに関わる仕事をしている以上、アニメはリアルタイムでみんなと実況しながら観るのが最高、というスタンスはとっている。とは言え、やはりこの年齢になると仕事もそうそう早くは終わらず、家に帰る頃には半分放映が終わっていたり、はたまたMXの早めの枠だと全放送枠が終了してショップジャパンになっていたりする。この流れでごちうさを何度か見逃してしまった。
なのでまずは録画機能を強化しよう。これについては他の方の意見も含め、山ほど実例があるのでやや省略するけれど、SONYから出ているnasneが最強すぎるのでこちらで一択でいいと思う(+PS3/4と)。ともあれ、この日記はITmediaの記事ではないので、この項についてはこれで終わりにする。
◆アニメを録ったら消化することが必要だ、でも運動もしたい
で、録画機能が揃ったら、うれしくて今期のアニメを山ほど録るようになる。でも録って観られないものも増えてくる。消化できないアニメが増えると悲しい。それに加えて、最初の項で書いた運動不足だ。これを解消しないとってことで会社から帰ってきてランニングしたりジムに行ったりすると、更に時間を消費する。
そこでエアロバイクである。部屋の中で自転車をこいでアレするアレだ。僕もここで紹介しているアルインコの商品を買ったのだけれど、今はこんな値段でこんな本格的なものが手に入るんだなと感心するぐらいレベルが高かった。物を知らないからなのかもしれないけど、昔はこの手の家庭用エアロバイクはとにかく粗悪品が多く、ちょっと漕いだらペダルが飛んだとか、消費カロリーが簡単に1000を超えた(誤表示)とか、重い設定にしてるはずがすぐに軽くなったとか、そういうのが多かった。
しかし、今世に出ているエアロバイクを見ると、わかりやすい粗悪品は余程の安物を買わない限りは現れないし、購入者の評判を複数のサイトでチェックして買えば、そうそう選択を間違えることはないと思う。ただ、僕の購入したエアロバイクは梱包がすごく前時代的で、発泡スチロールと段ボールの処分だけで結構な時間を食った。この辺、もっと簡単になればもっと売れるのになと残念な気持ちになった。あと、これは安定性にも影響する話なので仕方ないことなのかもしれないけど、本体重量がとにかく重い。めっちゃ重い。25kgぐらいあるから、当然持ち運びはめんどくさい。漕ぐ度にどこかから出し入れして、とかはあまり考えない方がいいと思う。
◆運動もアニメの消化も同時にやりたい
さて、これで運動する器具はできた。ここまで読めば察しの良い方はおわかりだと思うけれど、要は「アニメの消化とエアロバイクを組み合わせれば、自宅で運動もできてアニメも消化できて一石二鳥じゃね?」という話に繋げたいわけである。しかし、上にも書いた通り、エアロバイクはとにかく重いので、自宅のテレビと組み合わせると、常に居間の真ん中にデカいバイクが鎮座することになる。邪魔になるからと移動させると、今度は出すのが面倒になる。出すのが面倒になると漕がなくなって、一気に物干し台化が進んでしまう。
そこで、エアロバイク自体に映像を見る機能をつければいいのではと僕は考えた。と言っても、アルインコの商品にモニターがついているわけではないし、ディスプレイを別途買うのも勿体ない。何か別のもので活用できないかと探った結果、これを使うことにした。
アンドロイドの端末である。一時期、nexus7がメチャクチャ安い値段で売り出された時、みんな挙って買ったと思うのだけど、そろそろ、あれが家で放置されている頃合いではないかと思う。そうでなくても、タブレットの端末は軽くて扱いやすく、また、アニメ視聴をするには丁度いいぐらいの大きさだ。
これに、まずはTwonky Beamというソフトを入れる。これがすごい優れもので、wifi回線を通じて離れたところでタブレットなどでnasneで録画した映像を観ることができるというアプリである。以前、sanographixさんの日記でも紹介されていたのだけど、生活が変わるレベルで便利なアプリだ。ちなみに、有料でアドオンを購入しないとDTCP-IPのコンテンツ(著作権管理された)を観ることができないので、これを購入する。
これでnasneの映像を見放題、なのだけど、残念なことにTwonky Beamは検索機能が無いので、録画したアニメの数が膨大になると、その中からお目当てのものを捜すのがとても面倒になる。
◆検索もしたいし、もっと手軽に観たい
ところがこれも対策がとれるようになった。nasneを出しているSONYから、RECOPLAというアプリが出たのだ。これを起動すれば、nasneの中にあるコンテンツの中から、タイトルなどで容易に検索が可能になる。再生する度にいちいちTwonky Beamが立ち上がるのがちょっと残念だけど、特段不便というわけでもないので、この2つのソフトを活用するといいと思う。
※この辺りの再生環境については、前述のsanographixさんも追記している通り、更に便利なアプリや環境が出ている可能性があるので、この日記を読まれた時期に応じて、各自で良いと思われるものを選んで頂ければいいと思う。
というわけで、これでソフト面はすべて解決した。ただ、現状だと両手をフリーにしておきつつ、タブレットを持たないとアニメを観ることができない。エアロバイクにタブレットを置く台でもあればいいのだけど、丁度いいものがない。
僕はタブレット用のアームを付けることでこれを解決した。360度回転可能なものを使えば、エアロバイク本体にアームを取り付け、本体のウインドウの丁度上部あたりにnexus7を設置することも可能になる。
接続すると丁度こんな感じになる。これに、電源用のmicroUSBの2mのコードを使って、エアロバイクの電源と共にタップに差している。工作というような手間も無いし、興味のある方はやってみるのいいのではないだろうか。
でまあ、ここまで紹介して肝心のダイエットが上手く行ってないとなるといいオチになるのだけど、お陰様で現在のところ、半年前に比べて10キロのダイエットに成功し、いまなお減量は続いている最中である。ある程度の食事制限と組み合わせているのは事実としても、このエアロバイクでの運動が良い効果をもたらしているのもまた、事実である。
というわけで、皆様も空いた時間に運動などしてみるのはどうだろうか。アニメも消化できれば、こんなに良い物は無い。ちなみに今はラブライブ一期(今更)を観ながらエアロバイクを漕いでいるのだけど、女の子が頑張る系のアニメととても相性が良くてとても満足している。頑張る女の子と一緒におっさんが痩せれば日本の未来も明るい。
ネガティブな話はいったい誰が喜ぶのか
日頃、ツイッターでの僕の発言を分析してる人なんていないと思うけど、ある時から気をつけていることがひとつある。それは、「嫌いなもの、苦手なものに対してコメントをしない」ということだ。
先日のヘイトに対してのエントリーにも繋がることではあるけれど、作品に対しての負の感情というものが、一体何のためになるのだろうかと改めて考えた。結果、これは良い結果をもたらさないどころか、連鎖して悪い方へと向かうしかないと思ったので、以降、その手の発言をネットでしないようにした。
◎◎が嫌い、ダメだという話は、ゴシップとしては優秀な素材で、一緒になって喜ぶ人間がいればこれ程盛り上がる話題もない。なので、たとえば一部のサイトなどは、ちょっとした綻びからでもそれをこじ開けて記事にしようとし、火を付けて金を稼ごうとする。今更聖人ぶるつもりもないけれど、真っ当かと言われると首を傾げる。まして作り手として、その手の商売に手を貸すことの是非となれば、考えずともその答えはわかろうというものだ。
批判するなというわけではない。とても良い素材があって、それに対して明らかに作り手の怠慢や技術不足、あるいはエゴの発露により、本来得られるはずの達成に遥か届かない場合は、その点を指摘し、次作に繋げるのはむしろあっていい。しかし、単なる好みの問題や気分の問題を持ち出し、負のイメージをつけることが、果たして誰のためになるのか。少なくとも僕はそこに意義を見いだせない。
好き、で繋がる連帯にはその後の展開がある。二次創作などはその最たる物だろうし、知人には『好きだから作る』という明快なスタンスで、独創的なファンアートを作るケースもある。しかし、嫌いから繋がる連帯には、そこからの展開は生まれにくい。先に挙げたような、『素材は良いのに作り方が』という批判からならば展開も生まれるのだろうけど、単なる『嫌い』からの建設的な発想は思いつかない。
ファン同士の連帯がそれぞれに存在し、互いに尊重し合うような関係があれば理想なのだけれど、現実はグループ同士、個々同士で争いに発展することも多い。むしろそればかりが目立つ。少しでも、良き連帯でいられればと、まずは自分から直してみることにしたのだけど、賛同する人が一人でも増えることを願うばかりだ。
魔女の森を越えた先にまどかマギカがあった
三年前に亡くなった落語家の七代目立川談志師匠が、弟子にこんな言葉を残していた。
己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、
自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。
一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。
本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。
しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。
芸人なんぞそういう輩のかたまりみたいなもんだ。
だがそんなことで状況は何も変わらない。
よく覚えとけ。現実は正解なんだ。
時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。
現実は事実だ。
そして現状を理解、分析してみろ。
そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。
現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。
その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う。
僕はこの言葉を知って以来、自分のデスクトップの一番目立つ場所に配置して、常々眺めるようにしている。ひたすらに痛く、突き刺さる言葉だけど、物を作っている立場にとって、これほど正鵠を得ている言葉もそう無いと思っている。嫉妬は醜い。でも誰だって嫉妬をする。自分がいるフィールドで、誰かが先を走っていると認識した時、追い抜くことよりも向こうが落ちてくることを期待する。何もせずにトップに立てるのなら、そんなに楽なことはない。しかし、嫉妬はプラスになるものを何も産まない。自分が成長しないのだから当然である。世の中から嫉妬が無くなればいいのだけれど、誰もが努力でその差を埋められればいいのだけれど、ラクをしてしまうのが人間でもある。
ただ、やはり嫉妬は自分の目の前を曇らせ、良い物を見えなくしてしまう弊害を産むのだ。ここで自分の話をする。2011年の初頭、すでに五反田で活動を始めていた僕は、出力機の所に見慣れないタイトルのロゴが置いてあるのを見た。その少し前に、異色の組み合わせでスタッフが組まれていた。話題作。そのデザイン担当は、隣の事務所の染谷さんだった。
まどかマギカ。うめさんがキャラクターデザインで、芳文社さんも絡んでいた。非常に近しいところでスタッフが組まれる中、自分はそこに一切の関係がなかった。何年か前、ひだまりスケッチがアニメ化された時、TV局の規定とやらでロゴデザインのクレジットはなされず、パッケージデザインも別の方が担当されることになった。自分で作ったロゴは誰の物とも記載されず、ただその物だけが世に広がる結果となった。
まどかマギカは話題となった3話を契機に爆発的な人気となって広がっていった。しかし、自分はその話題になかなか乗れなかった。悔しかったのである。自分に近いところで、素晴らしい物が生まれているという事実に耐えられなかったのだ。しかし、6話、8話と回が進むにつれて評判は更に上がっていく。結局、我慢しきれずに本放送が10話に達したところで本編を観た。
観て一瞬で、己の下らないこだわりと嫉妬を恥じた。
本当に面白かった。最高のアニメだった。かつて、エヴァの本放送が待ち遠しく、大学生にもなって家にすっ飛んで帰っていた、あの頃を思い出した。様々な才能が結集し、通り一遍の言葉で表せない、化け物が生まれた瞬間を目の当たりにしていた。少しのインターバルの後、まどかマギカは11話と12話を放映し、本放送を終了した。僕は面白い面白いとただその偉業を繰り返し絶賛した。傍で見ていた染谷さんのデザインワークは素晴らしい達成となっていた。もう、僕の中で嫉妬の感情は残っていなかった。あるのはただ、スタッフへの敬意と己への恥ずかしさだけだった。
物作りの世界には嫉妬が渦巻いている。誰も彼もが牽制し合い、相手の出方を窺い、突出すれば叩く。粗を探しては突いて回り、引きずり落とす。その心の内は皆真っ黒で、さながら魔女の森だ。しかし、その魔女の森の中から、自己との戦いを切り抜け、同じ志の仲間を見つけ、飛び出す人もいる。他者を意識しつつも常に歯を食いしばり前を見続けた人だけがたどり着ける境地。そこにたどり着くことで名作が生まれ、更に奇跡が重なると、大ヒットへと繋がる。遠く険しい道だけれど、決して閉ざされた道ではない。
先日終えた東洋美術学校での最後の授業で、僕は以下のような言葉を生徒さんに聞かせた。説教臭くなるのは承知の上で、それでも聞いて欲しいと思い、話した。
「これからどの業界に入っても、待ち受けているのは妥協と諦めです。本当の意味で満足のいく仕事なんて、十回に一回も無いと思った方がいいです。人と人とが仕事をするというのはそういうことです。皆が懸命に自分の職責を果たそうとしても、その方向が少しでも異なっていれば、そこに衝突が生まれ、突き通すことは難しくなります。皆が努力してもそうなのですから、怠ける人が出てくれば状況は更に悪化します。そして妥協は生まれ、諦めが生じます。それは決して悪ではないですし、協調することは必要なことです。しかし、何かを作る上において、それは膿となって身体に溜まり、次第に自分を蝕んでいきます。でも、決してあきらめずに、自分の最上を目指してください。誰か怠けている人がいても、そこをリカバーできるぐらいの仕事で圧倒してください。そうすれば、どこかのタイミングで、すべてのスタッフが同じ方を向いて誰よりも最上を目指すような、奇跡のようなプロダクトに出会えるはずです。そこで自分の最高が出せれば、皆さんはきっと一つのジャンルにおいて素晴らしい達成を得ることができるでしょう。『まどかマギカ』は、そういう奇跡の中のひとつだと僕は捉えています」
嫉妬、思惑、不安、そうした物を凌駕した先にまどかマギカは生まれた。僕は人生においてこの作品のすぐ側で、しかし関われない所に存在したことを最大の教訓だと思っている。だからこれからも最上を目指す。嫉妬なんかしている暇はない。いつか、自分の『まどかマギカ』に出会うまでは。
禁煙して一年以上経ったので記録する
20代の前半からずっと吸い続けていた煙草を、昨年思い切ってやめることにした。あまり参考にはならないかもしれないけれど、やめたいと思っている人が同じやり方でやめられたら役に立てるかもということで記録しておこうと思う。
吸っていた銘柄はセブンスターで、だいたい3日で1箱が空くぐらいの頻度で吸っていた。職業柄、どうしても考えに詰まってしまう時があって、その気分転換と、あとは食後の一服が心地よく、その2用途が習慣となって10年選手の喫煙を続けていた。
やめようと思った切っ掛けは自宅を購入物件にしたことだった。長期ローンを組んだこともあり、大切に使うためには換気扇の側かベランダで吸うことになり、それならという理由だった。他にも、加齢による肺への影響や、昔に比べるとノドが荒れやすくなったりと、複合的な理由からの禁煙だった。
やめる、と思い立った一年半前の時点から、まずは習慣性を無くすことが大切だろうと思い立ち、食後の喫煙をやめることにした。ネットでの禁煙体験談などを読むに、軽い煙草に変えるのはどうもよくないらしい。ということで、食事に出る際に煙草を持って出ないようにして、ライターを常に所持するのもやめた。しかし、これはダメだった。どうしても外で買ってしまいそうになるし、事務所に戻ってきてからつい引き出しを開けて外に行ってしまう(事務所は室内禁煙)。
なので、とにかく本数を減らそうと、食後に吸うのは一日一回夕食時のみ、気分転換も一日一回のみとしてみた。最初はもうイライラした。吸いたいのに吸えないということでネタも考えられない、吸えば仕事が進むじゃないか、と、甘い方へと考えが寄ってしまう、などの悪循環も見られた。このままだと陥落すると思い、まずは仕事に詰まる原因から考えることにして、アイデア出しの前に資料を揃えたり、無闇に考え出さず、素材を手元に置いてそれを見ながら考えるクセをつけるなど、思考する方法から変えてみることにした。
そうしたらこれは上手くいった。何かを考えようとする際に準備を必ず心がけるようになり、効率も上がった。禁煙云々を抜きにしても良い効果が生まれた。集中力が上がったので、喫煙の機会も減り、3日に1回、4日に1回と頻度も減って、半年が経つ頃合いで完全に無くなった。まずはひとつの習慣を減らすことに成功した。
次に食後である。これはちょっとだけ難産だった。食後の一服の旨さを知っている人ならわかると思うが、脂っこい食事のあとに吸う煙草は絶品で、あれはフルコースの一環に組み入れてもいいのではないかと思うぐらい、口内に素晴らしい心地よさを与える。
ならばと、同じ効果を得られる代わりを考えた。要は口の中をリセットすればいいのだからと、食後のコーヒー、もしくはお茶を必ず飲むようにした。コーヒーはプラス煙草のベストカップルがちらつくので、次第にお茶の方へシフトし、あとはなるべく禁煙のお店や禁煙席へ座るようにしていった。最初はあまり強烈に我慢をせず、次第にゆっくりと頻度を減らすことで、これも成功した。ただ、こちらは職場の一服よりも無くすのに時間がかかった。
この2つが成功すれば、あとはもう終わりが見えていた。家にある煙草を処分し、灰皿を無くした。学生の頃に使っていた16mmフィルムの缶があって、これを灰皿として愛用していたのだけど、中をきれいに洗浄してクリップ入れにした。ライターは頂き物だけは大切に取っておいて、あとは処分した。元より、自宅で吸うことは最初から堅く決めていたこともあったので、すぐに解決した。
そして最後が出先での喫煙欲だった。最近は吸う事を強制してくるような人はさすがにいないけれど、僕の周辺に喫煙者が多かったこともあって、初期の頃はちょっとつらかった。4人集まって3人喫煙者、みたいな時もあった。だけど、その頃には自宅と職場の習慣性がほぼ無くなっていたので、この2時間を耐えれば、みたいな感じで我慢を続けていたら、次第に慣れて何とも思わなくなった。
こうして僕は禁煙に成功した。つい最近、このまま一度でも吸ったらまた戻るのか実験してみたくなって、飲みの席で一本だけ頂いたことがあったのだけど、その後は吸わずに習慣も戻らなかったので、これでほぼ完全に成功と言っていいかと思う。
あくまでも僕の例で話すならば、禁煙を成功させるコツは、
・吸っている状況を書き出して、ひとつひとつ改変策を考える
・ただやめるのではなく、代わりになることを考える
・一気にストップするのではなく、フェードアウトがいい
この辺りだろうか。もちろん個人差があるので、絶対というわけじゃないけれども。
また、僕自身は個人的な事情もあって禁煙したけれども、理由がなければ別にやめる必要など無いんじゃないかと思っている。煙草はフレーバーも多彩で美味しい物だし、嫌煙ファッショはやめた立場から見ても異常に映る。こんな日記を書いておきながらと怒られそうだが、かつての仲間たちにはこれからも頑張れと伝えておきたい。
あと余談だけれど、大雨の中でトヨエツが老婦人に火を貸してもらい、一瞬だけ音が途切れて「さよなら」と声が響くというセブンスター最後のCM、あれは本当に文化勲章とかあげるべきだと思う。
追記:禁煙してのメリットを書くのを失念していたので補足。まず、格段に行ける店や場所が増えた。嬉しい反面、本当に喫煙者って嫌がられてる時代なんやね、と悲しくもなった。それと、毎月5000円ぐらいかかっていた煙草代がそっくり残るようになった。これはメシ代や本代やゲーム代になった。ちょっと嬉しい。最後にメシ。味覚は間違い無く改善したと思う。メリットは他にもあったはずだけど、まあこの辺は色々書く人も多いだろうし、とりあえずはこの辺で。
東洋美術学校コミックコンテンツデザインゼミを振り返って
昨年の春先、東洋美術学校の中込副校長から突然お誘いを頂き、専門学校のデザイン科で教鞭を執ることとなった。副校長の熱心な口調にその気になったものの、僕は元々映像屋の出身で体系立ったデザインの教育を受けていない。タイポグラフィもレイアウトも作字もすべて我流だ。教えられることもあるにはあるが、あまりに偏った覚え方をして後々困ることになってはいけない。
そこで今回の授業では技術ではなく考え方の話をすることにした。ロゴ・ライトノベル・コミックの3つの大きな枠組みを作り、そのフィールドで仕事をする際にどのような考えをすればいいか、大切なものは何か、作りながら説明し、感覚を掴んでいって欲しいと思い、授業の組み立てを行った。
すべての授業が終わり、今思うこととしては、ちょっと内容として難しいというか、もう一段階前の話をすべきだったかなということだった。自分は専門学校という所を、職能を得るために来る場所だと思っていて、漠然とした話よりも明確に狙いどころを絞った話にした方がいいと考えていた。でも実際は、デザインの面白い部分や気づきの点をもっと重視し、刺激を与えながらの授業をもっと意識した方がよかったと感じた。これはどちらかというと、働き始めてすぐぐらいの人に向けた授業になってしまっていた。
当初16人の希望者がいたゼミは、最終的に5人にまで減ってしまった。就職活動時期、卒展、土曜日、必修ではないゼミ、学年コース混在と、ラクに欠席できる状況だったとはいえ、もっと『面白い』と思って貰える授業にできればよかったなと素直に反省した。それでも、最後まで残ってくれた生徒さんは、皆きちんと話を聞いて、課題もとても真面目に取り組んでくれた。大幅に生徒数が減った段階でちょっと心が折れそうになったが、残って聞いてくれる生徒さんがいる限りは、と続けた。
人に何かを教えるというのは本当に難しい。ただ項目を羅列して説明するだけでは頭には入ってこない。刺激を与え、頭を開いて、そこに適切な形で投げ込まなくては、それは知識として成立しない。右から左に流れていくだけだ。課題を出せばいい、としても、その内容が生徒さんの知識量に合わなくては、それを目の前にして途方に暮れるだけだ。現在の知識量、技術の量を見極めた上で、それよりも『少しだけ』上のクラスの課題を出す。それによって一段上に行くことができる。見極めができていないと、成長のチャンスは失われ、その生徒さんは授業を投げることになってしまう。
一連の授業を経て、自分なりに反省もあるし、改善点も見えた。でも、今回受講してくれた16人の生徒さんには、今回限りで次を受けてもらう機会は無い。本来なら、その人たちにこそ、一番に成果を見て欲しいのに。授業というのはなんと寂しいものか。
ともあれ、後ろを向いていては何にもならない。常套句で申し訳ないけれど、僕もまた皆に教えて貰ったのだと思うこととして、次の授業に挑みたいと思う。今度受け持つのは必修授業で、かつ夜間部の社会人向けクラスらしい。どちらかというと、今回やろうとしていた内容がより活かせるに違いない。ぜひ、受けて良かったと思えるものにしたいと考えている。
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今回の授業においてご協力頂きました皆様、東洋美術学校の職員・教員の皆様、そして何よりも生徒の皆様に厚くお礼申し上げます。実に刺激的で、考えることの多い半年間でした。この授業に触れた皆様においても、何かしら次に繋がるものがあれば、これ以上の幸いはございません。