魔女の森を越えた先にまどかマギカがあった
三年前に亡くなった落語家の七代目立川談志師匠が、弟子にこんな言葉を残していた。
己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、
自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。
一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。
本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。
しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。
芸人なんぞそういう輩のかたまりみたいなもんだ。
だがそんなことで状況は何も変わらない。
よく覚えとけ。現実は正解なんだ。
時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。
現実は事実だ。
そして現状を理解、分析してみろ。
そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。
現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。
その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う。
僕はこの言葉を知って以来、自分のデスクトップの一番目立つ場所に配置して、常々眺めるようにしている。ひたすらに痛く、突き刺さる言葉だけど、物を作っている立場にとって、これほど正鵠を得ている言葉もそう無いと思っている。嫉妬は醜い。でも誰だって嫉妬をする。自分がいるフィールドで、誰かが先を走っていると認識した時、追い抜くことよりも向こうが落ちてくることを期待する。何もせずにトップに立てるのなら、そんなに楽なことはない。しかし、嫉妬はプラスになるものを何も産まない。自分が成長しないのだから当然である。世の中から嫉妬が無くなればいいのだけれど、誰もが努力でその差を埋められればいいのだけれど、ラクをしてしまうのが人間でもある。
ただ、やはり嫉妬は自分の目の前を曇らせ、良い物を見えなくしてしまう弊害を産むのだ。ここで自分の話をする。2011年の初頭、すでに五反田で活動を始めていた僕は、出力機の所に見慣れないタイトルのロゴが置いてあるのを見た。その少し前に、異色の組み合わせでスタッフが組まれていた。話題作。そのデザイン担当は、隣の事務所の染谷さんだった。
まどかマギカ。うめさんがキャラクターデザインで、芳文社さんも絡んでいた。非常に近しいところでスタッフが組まれる中、自分はそこに一切の関係がなかった。何年か前、ひだまりスケッチがアニメ化された時、TV局の規定とやらでロゴデザインのクレジットはなされず、パッケージデザインも別の方が担当されることになった。自分で作ったロゴは誰の物とも記載されず、ただその物だけが世に広がる結果となった。
まどかマギカは話題となった3話を契機に爆発的な人気となって広がっていった。しかし、自分はその話題になかなか乗れなかった。悔しかったのである。自分に近いところで、素晴らしい物が生まれているという事実に耐えられなかったのだ。しかし、6話、8話と回が進むにつれて評判は更に上がっていく。結局、我慢しきれずに本放送が10話に達したところで本編を観た。
観て一瞬で、己の下らないこだわりと嫉妬を恥じた。
本当に面白かった。最高のアニメだった。かつて、エヴァの本放送が待ち遠しく、大学生にもなって家にすっ飛んで帰っていた、あの頃を思い出した。様々な才能が結集し、通り一遍の言葉で表せない、化け物が生まれた瞬間を目の当たりにしていた。少しのインターバルの後、まどかマギカは11話と12話を放映し、本放送を終了した。僕は面白い面白いとただその偉業を繰り返し絶賛した。傍で見ていた染谷さんのデザインワークは素晴らしい達成となっていた。もう、僕の中で嫉妬の感情は残っていなかった。あるのはただ、スタッフへの敬意と己への恥ずかしさだけだった。
物作りの世界には嫉妬が渦巻いている。誰も彼もが牽制し合い、相手の出方を窺い、突出すれば叩く。粗を探しては突いて回り、引きずり落とす。その心の内は皆真っ黒で、さながら魔女の森だ。しかし、その魔女の森の中から、自己との戦いを切り抜け、同じ志の仲間を見つけ、飛び出す人もいる。他者を意識しつつも常に歯を食いしばり前を見続けた人だけがたどり着ける境地。そこにたどり着くことで名作が生まれ、更に奇跡が重なると、大ヒットへと繋がる。遠く険しい道だけれど、決して閉ざされた道ではない。
先日終えた東洋美術学校での最後の授業で、僕は以下のような言葉を生徒さんに聞かせた。説教臭くなるのは承知の上で、それでも聞いて欲しいと思い、話した。
「これからどの業界に入っても、待ち受けているのは妥協と諦めです。本当の意味で満足のいく仕事なんて、十回に一回も無いと思った方がいいです。人と人とが仕事をするというのはそういうことです。皆が懸命に自分の職責を果たそうとしても、その方向が少しでも異なっていれば、そこに衝突が生まれ、突き通すことは難しくなります。皆が努力してもそうなのですから、怠ける人が出てくれば状況は更に悪化します。そして妥協は生まれ、諦めが生じます。それは決して悪ではないですし、協調することは必要なことです。しかし、何かを作る上において、それは膿となって身体に溜まり、次第に自分を蝕んでいきます。でも、決してあきらめずに、自分の最上を目指してください。誰か怠けている人がいても、そこをリカバーできるぐらいの仕事で圧倒してください。そうすれば、どこかのタイミングで、すべてのスタッフが同じ方を向いて誰よりも最上を目指すような、奇跡のようなプロダクトに出会えるはずです。そこで自分の最高が出せれば、皆さんはきっと一つのジャンルにおいて素晴らしい達成を得ることができるでしょう。『まどかマギカ』は、そういう奇跡の中のひとつだと僕は捉えています」
嫉妬、思惑、不安、そうした物を凌駕した先にまどかマギカは生まれた。僕は人生においてこの作品のすぐ側で、しかし関われない所に存在したことを最大の教訓だと思っている。だからこれからも最上を目指す。嫉妬なんかしている暇はない。いつか、自分の『まどかマギカ』に出会うまでは。