kionachiの日記

中野でコミックやラノベの装丁やテキスト仕事や社長などをしている木緒なちの日記です。

ぼくたちの、

 

 

kionachi.hatenablog.com

 
 7年前、このような日記を書いた。

 2011年。日記にも書いたまどかマギカが放映されていた頃、周囲にいた友人たちが次々と商業作品でブレイクし、その中で僕はただ腐っているだけだった。格好つけてクリエイターぶっていたものの、実際の僕は常に迷いっぱなしだった。前を向いて動こうにも何をしたらいいのかわからず、とにかく日々の仕事を進めることしかできなかった。腐ったままでは死んでしまうので、ごはんを食べるために手を動かし、デザインをして文章を書いていた。何に繋がるかなんてわからず、動いていれば何かが起きるじゃないかという、昔から持ち続けている根拠のない理屈によるものだった。

 

 そうしている間にも、周りはどんどん大きな作品をものにしていった。あの人もあの子もあのグループも、アニメ化劇場版メディア展開とにぎやかな話題ばかりだった。僕は置いて行かれるばかりだった。それでも手を動かした。ごはんが食べられるように、会社に参加してくれたスタッフが困らないようにと。そうしたら、次第に感覚が麻痺してきた。自分はこうして死んでいくんだろうなとしか思えなくなった。形に残るようなものを残すチャンスはもう終わったのだと。

 

 元々、運だけが良かった人間だった。なぜか受かった大阪芸大に滑り込み、わかりもしない映像を学ぶうちにMacを知りデザインを知って、バイト先にもなんかうまいことを言って滑り込んだ。イラレの使い方を学んで卒業して、行く宛ても無いのに東京へ行き、たまたま社長とウマが合ったデザイン事務所へ入った。デザイン事務所に入ってデザイナーの見習いになったから、ずっとデザイナーをやってきた。その幸運がなければこの仕事はしていなかっただろうし、たまたまライターが足りなくてその穴埋めをしなければ、物語を作る仕事もしていなかっただろう。そこには思想も意義も崇高な精神もクリエイター魂的なものも何もなかった。すべては巡り合わせと、なんでも受け入れる雑食性がなせたことだった。巡り合わせが悪くなれば、当然のようにすべては悪いサイクルになる。それが来たんだろうなと、その頃は思っていた。

 

 少し、風向きが変わったのは2013年のことだった。ゲームシナリオの仕事をお願いしますと、『恋チョコ』を作ったメーカーさんからの依頼だった。最初は悩んだ。その少し前に関わった大作ゲームでは、作品自体は大成功したものの、自分の担当パートの評価は今ひとつ、いや、正直良くなかった。すっかり自信を喪失し、もうゲームは無理だろう、自分の書く話に魅力なんかないんだ、そう思っていた。だから、うけるかどうかについてはまだ半々といったところだった。

 

 メーカーのプロデューサーであるサカモトさん、そしてビジュアル面の担当の鈴森さんと会い、話をした。すごく情熱のある方々だった。熱が入った。これは自分への喝、そして物語を作る最後のチャンスだと思った。コンセプトを決めるため、1枚のA4用紙に思いを書き殴った。テーマは空。上を向け、空を見よう。そういうことを書いた。大地震のあとで沈んでいた界隈と、そして自分へ向けたメッセージでもあった。美少女ゲームでほとんど例のなかったスポ根を、覚悟を決めてやることにした。そんな意気込みを含めて提出した企画を、メーカーさんはおもしろいと言ってくださった。設定などが決まっていき、開発のなかばに差しかかるところでタイトルが決まった。『蒼の彼方のフォーリズム』。自分の考えたものではなかったけれど、大好きな響きだった。

 

 『蒼の彼方のフォーリズム』は人気作品となった。シナリオも高い評価をいただいた。TVアニメにもなり、初めてアニメの脚本という仕事も経験できた。僕はやっとのことで自信を取り戻した。自分の書く世界や物語が、まだまだ人を感動させられる、そのことがたまらなく嬉しかった。同じ頃、『ご注文はうさぎですか?』のアニメも始まった。自分の名前が載ったエンドクレジットを何回も見た。シナリオ、デザインの両方で、少しずつ達成が増えてきた。仕事に対しての意欲が再び湧くようになった。

 

ライトノベルの新作を書きませんか」

 

 その頃、新しい仕事の相談をいただいた。まだ会社が渋谷にあった頃のメディアファクトリー。担当さんとは元々、デザインを通じて知り合った間柄だった。かつてのラノベ2作品の直後だったら、断っていたかもしれない。いや、それ以前に依頼すらこなかっただろう。だけど今回は違った。ゲームシナリオで自信を取り戻し、もう一度なら挑戦しても許されるかも、と思った。ライトノベル執筆の、最後のチャンスのつもりで受けようと、「やります」と返信をした。それが2016年のことだった。

 

 何を書こうか悩んだ。その頃流行っていたジャンルはどれも自分の手に負えないものばかりだった。このおもしろさ、気持ちよさを自分は書き切れない。無理をして書いたところで、中途半端なものになってしまうと思った。迷った結果、その自分がまさに悩んでいるクリエイティブそのものをテーマにしようと決めた。かつて通っていた大阪芸大での思い出を編集さんに伝えると、興味を持ってくださった。タイムスリップのアイデアをそれに組み合わせ、ちょうどオタクメディアが大きく動いた2006年からの話をやろうということになった。タイトルは編集さんが付けてくださった。『ぼくたちのリメイク』。それは、僕自身のリメイク、再出発の物語でもあった。ずっと大好きで、お世話になっていたえれっとさんに挿絵を担当していただいた。覚悟を決めた。これを最高の本にすると。

 

 ぼくリメは開始当初から絶好調とまではいかなかった。だけど読者の方からはとても良い反応をいただけていた。そして根気よく続けていたら、『このライトノベルはすごい!』の年鑑にランクインした。気に入った読者の方が口コミで広げてくださったからだ。気がついたら、僕の書くライトノベルで最大の刊行点数になっていた。講談社さんの提案で、腕利きの閃先生の手でコミカライズしていただき、すばらしいものにしてくださった。何度も泣いた。うれしくて泣いた。まだそこまで売れていない時代に推してくれた担当編集さん、そしてその熱意を受け入れてくださったMF文庫Jさん、KADOKAWAさん、ずっとクオリティの高い熱の入ったイラストを上げてくださったえれっとさん、みなさんに頭が上がらない。様々な人たちによる少しずつの厚意が、実を結んだ結果となった。

 

 すべての作品はつながっている。すべての行動はつながっている。

 腐っていた頃も、やる気を取り戻した頃も、血気盛んだった頃も、いずれの時期に書いた物も、したことも、すべて血肉になって次の作品へとつながっていくし、そこで思ったこと、感じたこと、次にやることにもつながっていく。

 巡り合わせのままに動くことを、自分で卑下していた時期もあった。だけど、そうじゃなかった。動かなくては何も巡らないし、巡るということは、自分もちゃんと動いていることの証拠だった。長々とこの業界で生きてきて、何もまだ見つけることはできていないけれど、やっとひとつだけ、このことだけは見つけることができた。平成の世が終わり、人生の約半分を過ぎた所でこう考えられるようになったのは、おこがましい話かもしれないけれど、多少の成長があったのかなと思っている。

 
 ずっと、自分はつまらない人間だなあと思っていて、それは未だに油断していると顔を出す悪癖なのだけど、上に書いたささやかな成長と、そして否応なく訪れる年齢の積み重ねによって、段々とその卑屈な考えをいい形で削り取ることができるようになった。配信で、会話で、通話で、作品への感想で、木緒なちへの賛辞や、ときには憧れの言葉をくださる方への愚弄になってはいけない、そして、まがりなりにもずっと動き続けてきた自分に対しても、その達成をあざ笑うことになるんじゃないかという気持ちが、そうさせてくれたのだろう。

 

 美少女ゲーム会社でクリエイターになり、独立して迷い、助けてくれるスタッフを得て、チームは法人化して会社になって社長になり、ライターからラノベ作家になり、そこでまた挫折し、作り続け、新しい物を見続けることでなんとか復活し、そして今はVTuberにまでなった。

 立場も状況も変わっていったけれど、根底にあるものはずっと変わらないままここまで来たんだなあと、この日記で昔を振り返って、わかった。

 そしてやっと言える。

 10年かけてやっと出会えた。自分にとっての『まどかマギカ』に。

 

 

 2021年。『ぼくたちのリメイク』のTVアニメが放送されます。僕が単独で書いた作品としては、初めてのメディア展開作品となります。
 ここまで、様々な作品で関わってくださった方々に、友人たちに、そして何よりも読者の皆様に心から感謝いたします。そこそこ長い道のりでしたが、これでひとつの達成を手に入れられたように思います。

  

 来週、7月3日から始まります。観てください。

 

 木緒なち