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kionachiの日記

中野でコミックやラノベの装丁やテキスト仕事や社長などをしている木緒なちの日記です。

神が降りてきた、の危うさ

 僕がシナリオライターになったのは2003年のことで、もう散々あちこちで話したことだけど、スタッフが突然いなくなって急遽その穴埋めで入ったのがきっかけだった。

 とにかく書ければいいから、の危険極まりない一言でスタートしたライター稼業だったけれど、幸運にも大学がストーリー作りについての勉強もできる学科(映像学科)で、モノは違えどシナリオを書いた経験もあり、何より自分自身が物語に興味があったことも手伝って、なんとか形にして世に送り出した。

 で、それがジワジワと評判になって、シナリオの依頼が来るようになるのだけれど、当時はまだ追い込まれれば書ける、という妙な自信があって、現にそれが上手く行っていたのでそうそう悩む事もなかった。作品数は増え、ファンだという人も増えていった。

 しかし、本来出せる実力は、悲しい程に育ってなかった。たまたま空気の合った『泣きゲー』ブームとの親和性は、その後やって来る萌えゲーの流れに乗り遅れる原因となり、次第に評判は下がっていく。こうなるとすべての歯車が狂い出して、何をやっても上手く行かないと思い始め、内へ内へと入っていってしまう。悪循環である。しかも、これを単に時代が違うからと思い始めると始末が悪い。時代が悪い、社会が悪い、である。自分もまた、そういう穴へ落ちて行きかけた。

 本当は、神なんか降りてきてなかったのだ。あれは、自分がこれまでに触れてきた物語の残滓から、使える物を知らず知らずのうちに貯えていて、それがポロッと落ちてきていただけのことだったのだ。サボることなく、請けた仕事にきちんと向き合って、真剣に考える時間を少しでも増やしておけば、もっと早く、神なんかじゃない、自分の貯金が早々に降ろせていて、しかも新たにお金を入れることだってできたはずだ。

 追い込まれると『神』が降りてきて、なんか良い物が書けるような気がする。それが結果に結びつくと、毎回のように追い込まれる状況を作るようになり、追い込まれた俺は強いからと遊びほうけるようになる。しかしその正体は、自分の身体を食い続け、気がつけば足が一本も無くなっている蛸だったのだ。

 正統な形で経験を積んでいけば、いつしかネタが本当に枯渇した時に、経験がアイデアの少なさを補うようになって、計算で物を作れるようになるはずだ。それがつまらないと言う向きもあるだろうけど、アウトプットもできないまま沈んでいくよりはずっとマシだ。何より、食べていくためにはその切り替えが必要だろう。